設立経過


世界の子どもの平和像を東京に作る会


   世界の子どもの平和像(東京)
       オフィシャルホームページ

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■ ■ ■ 像の由来 ~ 「平和を築く」 ■ ■ ■

 ひびの入った卵には『今にも壊れそうな平和』と『本当の平和の誕生』が、卵の上部のリボンは、 『これ以上壊れないようにするための包帯』と『誕生を祝福するリボン』、ひまわりに水をやる少女は人間の手で明るい未来を築く」という意味がこの像には込められています。

設立経過

1996年原水爆禁止世界大会にて


 『平和は教育から始まります。平和は戦争のない、特に、核軍事同盟のない時代です。武器は強力になり、国を大陸を吹き 飛ばすまでになりました。しかし、今もなお作っています。これが平和といえるでしょうか。止めるべきです。ストップしなければなりません。原子力を他の力 に変えることです。実験は中止。テロリスト対策も必要です。
 世界に平和を! ともに力を合わせましょう。私たちの最後のゴールは「世界的な子 どもの平和像」をできるだけ多くの子どもが参加して作ることです。多分、この計画については教育が必要です。戦争と兵器をなくすために。私たちの平和の像 は数千の子どもの声と一つの宣言「ピース(平和)」です。』


 この発言は96年の原水禁世界大会でアメリカの当時13歳の少年、トラビス君が発言したものです。トラビス君はアメリカで「原爆の子の像」の話とそのモ デルになった佐々木貞子さんの話を聞いて世界で原爆が初めて作られた都市、ロスアラモスに「子どもの平和像」をたてようと呼び掛け合ったアルバカーキーの 子どもたちの一人です。また同じ年に広島で行われた全国高校生平和集会にもトラビス君は参加し、「世界中に「世界の子どもの平和像」を建てることが僕の夢 です」と発言しました。

共感した高校生たちが

このトラビス君の発言に強い共感を受けた高校生から平和像建設の呼びかけが上がり、夢のプロジェクトが始まりました。
 トラビス君の発言にもあるように、今の世界は核兵器の脅威にさらされています。今私たちが核廃絶の取り組みをさらに広めていかなければ安心して暮らせる 21世紀をつくりあげることはできません。
1998年に全国の高校生に「平和像をつくろう!」と呼びかけられ、東京広島が立候補。翌年1999年に「世界の子どもの平和像を東京に作る会」を結成し、本格的な活動がスタートしました。

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写真は当時の高校生の街角でのカンパ活動の様子です。

「世界の子どもの平和像」をつくる運動って何?

 「世界の子どもの平和像をつくろう」という運動は、私たち、小学生や中学生・高校生など、子どもたちが、「核兵器と戦争のない21世紀 を」という決意をこめた平和像・モニュメントを日本や世界の各地に建設しようという運動です。それは、私たち、子どもたちが反核平和の課題について学習 し、反核平和の願いを子どもたちが日本や世界の多くの人々に訴えていく運動でもあります。

本格的なカンパ活動開始

設立のために必要なお金をカンパで呼び掛けました。1000万円のカンパを目標に、日々活動しました。

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写真は渋谷駅にてエイサーのパフォーマンスとカンパの呼び掛け

そして、2001年5月5日、東京に世界の子どもの平和像が完成

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除幕式での写真です。

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